Hiro×府城男児

平成28年9月から始める大阪での留学生活を記録し、台湾での出来ことを語る。

咽ぶ因に食ふを廃す、ポケモンGOについて随筆

タイトルにある文の原文は「因噎廢食」です、書き下ろしをしたいですが、正しいかどうかわかりません。宜しくお願いします。


 僕自身はやっていないが、ポケモンGOは、まさにこの科学技術の頂点に立つ21世紀に相応しいゲームと言っても過言ではない。

 新聞やニュース、いや、さっき自分が歩いていた道に、ポケモンGOをやっていた人が何人かがいるのだ。
 僕は別に嫌いではないが、僕の国では、四十代の人たちは、世界が終わりだと叫んでいる。そして、こういうポケモンGOゲーマーをゾンビーと呼びながら、軽蔑的な目つきで見ている。

 ポケモンGOゲーマーよりも、彼らを嘲笑う人たちのほうが、僕は気に入らない。
 まず、今の科学技術では、こういう物が作られたのは必然な結果で、これからも必ず、ポケモンGOより人を魅了するものが作られる。そのとき、この人たちが死ぬほど怒鳴る姿が想像できる。

 この人たちはひたすらこういう状況を批判し、何一つの打開策も挙げられない。こういう心理について、一つの例を挙げよう。《呂氏春秋》によると、「咽るのを恐れるから、いっそ食事をやめよう。」という物語がある。それを今の状況から見ると、「ゲームに熱中するのが恐ろしいから、ゲームは禁止だ。」ということになる。こういう心理を理解できなくはないが、僕は認めない。
 何故なら、全部を禁止するのは、勿論、切りがないから、現実的には無理だ。

 では、これから、どうすば良いのか。
 僕には一つの考えがある。それは自分の欲望を控えることだ。
 具体的に言うと、自分をゲームに夢中にさせないこと、ゲームを現実生活に影響させないこと、ゲームよりも現実を大事にすること。これらの原則を守るなら、誰も嫌わないだろう。

 皆さんもゲームをやっているときには、気を付けてください。

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Mikaniroさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/44703159857483440837381416838239473360

 

#随筆 #書き下ろし #ポケモンGO

壱、混沌出世 大鳳慈悲 / 壱章の二

前編壱、混沌出世 大鳳慈悲 / 壱章の始まり - Hiro×府城男児

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凡歩平は剣を鞘に戻し、

目を瞑った。

すると、

「師匠、人が近づきます。」と、

「息が急ぎ、足取りも重い。さぞ疲れてるな。」

「弟子が見てきます。」

話が済むと、

間もなく木の上で身を隠し、

来客の元へ行く。

 

数十本の木を経て、

一人の少年の姿が目に入った。

彼は上等な布で作られた衣装を着ている。

ただ、

その衣装はもうボロボロになった。

彼の額に汗だらけ、

目には輝きもなく、

屍のようにひたすら前へ進む。

ふと、

あの少年が魂を取り戻したように叫んだ。

「外道め。出てこい!俺様がぶっ殺してやろう!!」

次に、

少年は腰に懸かった剣を抜いて、

あちこちを斬り舞っている。

ひゅーひゅーと剣気の音がした。

その風音からみると随分と多い力を持っている。

 

それを見た凡歩平は心の中にこう思っている。

この人は疲れすぎて狂気になったか。いや、僕が来たばかりに、こんな動きが始まった。小さい頃から師匠から聞いた。僕がシユウの転生者だと。信じられない話だが、師匠は決して嘘をつかない。まさかこのシユウの気配を感知したかもしれない。この男はいったい......。ここで変なことあれこれを考えても無駄だ。いっそこの男に試してみよう。

そうしたら、

凡歩平は木から降りた。

「お客さん、我が聖地の太山で、外道めが存在するのはあり得ない話だ。」

「そこの道士よ。この浪人は太山の名に慕ったから、千里も辞せずに、ここにやってきた。どうやら、勘違いしたな。まさか、ここまで妖気が重いのは意外だな。ハハハ......ハハハハハハハ............。」

少年は笑いながら、凡歩平を睨みついている。

 

「太山のここら辺は、僕と師匠が住んでいるだけ、他に何者でもいない。」

「そういうことは、この辺りにいるのは外道の師弟しかいないっていうことか。やはり天は我を亡ぼそうかよ。少なくとも、その外道の命を道連れとしてもらおう。」

話が終るのを待たなく、

凡歩平は一歩を退いたとともに、

相手の剣が自分の心臓を指し、近寄っている。

「よせっ!僕には剣を抜く理由はない。」

「知るか!その心臓をもらうぞ。黒いかどうか確かめよう。」

「待てっ!あなたはどうやって、そういう妖気を感じれるのか。」

「いずれここで死ぬなら、閻羅王に聞け。」

「どうやら、人の話をちゃんと聞けないみたいだな。」

 

突然、

銀光一閃、

凡歩平の手に、

一本の剣を握っている。

ちょっとやばいな。さっき師匠に剣法を演じたばかりに、人と戦うのは絶対にやばい。どうやら、一撃で決着をつけよう。

凡歩平は深く一息を吸った。

そして、八割の気を剣にかけ、

両眼に入ったのは相手だけ、

走り始める豹のように、

何時でも相手を切り裂くように、

凡歩平には、

いつも師匠が教えてくれた手加減をするのが全く忘れていた。

 

凡歩平は

腹からハッと、

一息を吐いた。

全力で進み、

その剣の先は三つになっている。

届く先は喉、心臓、腹、

容赦するようもない。

 

つづく

武侠小説について随筆

 硬い表現で書きたいんですが、宜しくお願いします。( ´∀` )

 皆さんは「武侠小説」というものをご存知でしょうか。

 僕の印象では、武侠小説とは中国風のファンタジー小説である。「武侠」とは文字通りに「武力を持つ侠客」である。その武力は現実を越え、超能力といっても過言ではあるまい。

 当世、最も名高い武侠小説の作家 「金庸」先生の作品は、漢人である限り、知らないわけにはいかない。*1
 僕が初めて武侠小説と出会ったのは、 金庸先生の「神鵰俠侶」に基づいたアニメである。それから、図書館で原作を借りた。 金庸先生の作品は漢文と現代文とが混じっている文章である。中学校時代の僕には、さすがに難しい。だが、情熱さえあれば、何とか乗り越えることができた。

 僕は授業の時も、昼休みの時も、ひたすらそれを読んだ。おかげで、国語について興味が深くなっていった。高校時代も、大学時代も、国語の成績は常にトップである。そして、それが漢文を勉強する契機にもなった。

 話を戻し、今投稿したい契機は武功*2 というものである。武侠小説を読みながら、不思議な力に憧れている僕は、一つのことに気付いた。毎日しっかりと練功*3 すれば、いずれ武林を制覇する*4 ことができるのではないのか。では、何故人はそうしないのであろう。

 あれから、八年も経ち、僕は一つの答えに辿り着いた。それが「意志」である。彼らは本当に役立つことにやる気は出せず、目の前の娯楽に引っ掛かっている。彼らの辿り着いた結果は、自分より強い達人に殺されるしかないということだ。

 このことに気付いた僕はもう一つのことを考えずにはいられない。それは自分のことだ。勿論武林を制覇する必要はなく、現実には武功は存在しない。だが、「本当に役立つことにやる気は出せず、目の前の娯楽に引っ掛かっている。」という状況は同じだ。僕がしっかりと勉強しないと、自分より強い人たちに殺されるかもしれない(精神的に)。いや、過去の自分に負けることだけで、十分に哀れな話ではあるまいか。孔子は曰く、「学は逆水を行く舟の如し、進まざれば即ち退く。」*5 、毎日前へ進まないと、後に戻るしかあるまい。

 これらに気付いた僕は、自分の未来を考えるだけで、直ちに勉強せざるを得なくなった。

 何か違和感に気づいた時、それを自分の場合に立ち、きっと何かを得るのであろう。

 武侠の話をしようとするが、この投稿が長すぎるため、次の投稿で話そう。
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*1 「金庸先生」の前に、スペースを打つのは、中国で尊敬を表す表現である。
*2 武功とは、漫画のナルトの忍術と似てるものである。
*3 練功とは、武功を修練することである。
*4 武林を制覇するとは、侠客のトップになることである。
*5 學如逆水行舟、不進則退。

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RUさん、KawasemiHamiさん、
ありがとうございました。
http://lang-8.com/kakukangen/journals/17440655963584050382750388618493985838